最近の中で接点はなく、遠い記憶なのに、不思議と、胸の中で繰り返す言葉。
・夜と霧(ヴィクトール・E・フランクル (著)。ナチス強制収容所体験記。学生時代、ある授業のテキストだった。)
・踏み絵(昔、キリスト教弾圧のために本当にあった残忍な歴史。というのを社会の授業で習った記憶。)
(私の中で)共通して届いたことは
どんなに絶望しても
希望を棄てない。
私を、あなたを、世界を、棄てない。
長い歴史の中では、絶望・苦悩・葛藤・無念の最期が、沢山あったのだろう。
そして、信じて、託す、闇の先の希望の光も、沢山あったのだろう。
自殺、他殺、ハラスメント、うつ、買い占め、などのニュース。
不安やストレス、心の状態も、今とても瀬戸際なのかもしれない。
どのいのちにも、等しく、心がある。
私たちが今身に着けている服も、食べている野菜や米も、水も、電気も
はじまりと、辿った道があり
考える
作る
育てる
届ける
この手に取るまで、数えきれない想い・行いたちが、そこにはのっている。
心がざわついたら、今一度、立ち止まって
目に見えていることの、さらにその奥、その先の
目には見えないものに、心を馳せてみよう。
方法は違っても、一人ひとりの、想い一つが、必ず大きな一つの力となる。
例えば、私の場合は...
緊張感高まるここ東京では、歩き方にもそれが顕著で、ぶつかりそうになることも。
お互いの心に負荷をかけないように
狭いところをすれ違う時、その方のつま先の方向やスピードを見て
逆を進んだり、立ち止まって待ちます。
そして、調子がいい時には、軽く会釈をして『お互い大変だけど、GOOD LUCK ☆彡』
と、心の中で呟く。
地味ですが (^^;、平和につながると信じている、私なりの、熱い想い・実践です。
そして、今日も祈ります。
(便乗?させて頂き、現在私が自宅や、職場で行っているのは(長い時間ではないのですが)
どなたかの記事で拝見した、東大寺さんの正午のお祈り。と
先逝く魂さん方が、ゆっくりおやすみできますように。
全てのいのちの、心・身体が、より健やかな光ある方へ、導かれますように。
そして、不安や焦燥で、何もできない時が、あってもいい。
そんな時、私は、自分や誰かを責めずに、甘いものを食べて、一寝入りします。