父も母も、とても苦労をした人でした。
父は、修学旅行の日には、お金がなくて、行くことが出来ませんでした。
その日は、たくさんいる兄弟たちのために、川で魚を釣っていたそうです。
母は、塩をふりかけたご飯を、毎朝食べて学校に行っていました。
帰宅後、家業を手伝っていると、疲れて居眠りをしてしまって。
よく怒られていたんだとか。
私が大人になって、泣きながら教えてくれました。
それから、私の会社でのお昼ご飯は、塩むすびが定番です。
色々あった二人ですから、私は幼いころから、修羅場をたくさん目の前で見て
味わってきました。
父はお酒臭かったけれど(笑)、大好きでした。毎年二人で、父の故郷長野へ行っていました。
泊まる場所もなく、車の中で見せてくれた雲海。
父の想いと、初めて出会う美しい景色が、ただただうれしかった。
血を吐くまでお酒を飲んで身体を壊したのは、父の寂しさ、孤独の叫びだったのかもしれません。
父の周りに誰もいなくなって、立てない父が這いながら、家に残された私の部屋の襖をいつまでも叩く涙声。
大みそか、家族中の誰もがひとりぼっちの、時間でした。
母は苦労をばねに生きてきた人なので、完璧主義な人でした。
それがきっと、私と母の衝突が多い原因だったのかもしれません。
私の自由さが、彼女にとっては恥みたいな部分があり、そんな服でもう故郷に帰ってくるな、とか、これを着ろ、あれを捨てろ...すさまじかった(笑)
そんな母でも、私が上京すると、私のいない部屋で毎日泣いていたそうです。
そんな母でも、夜中の2時頃、『友達はちゃんとできたんか。』と突然、
涙をこらえた声で電話してきたことも。
今となって痛いくらい感じます。
親だって、完璧な人間ではないということ。
親だって、色々悩み苦しみがあって、その時その時、精いっぱいに生きていて
それでも、私たちを育んでくれたということ。
親だって、誰かから、頑張っているねって抱きしめてもらいたいんだ、ということ。
照れてる場合ではなく。
私、ばかじゃないのか、と笑われても、やっぱり伝えたい。
おかげさまで、こんなに馬鹿正直な、まっすぐな人間に育ちました。
生きていれば色々ありますが、私、しあわせです。
こうして、たくさんの愛。支え、励ましてくれるぬくもり、光。に出逢えたのは
このいのちを、あの日、いただいたから。
どんなときも、本当にありがとう。
今日はふと思い立って、父母へ、CDを送りました。
クリス・ハート『いのちの理由』
機械の操作が分からないから(可愛い)、姉が帰宅後に聴くとのことです(^^)
今二人は、随分まあるくなりました。
あと少しで
今年も
花がひらきそうです。
また必ず出逢える春を、花のような笑顔を、心から、楽しみにしています。