学生の頃、お母さんがいない小学生の男の子に、勉強を教えていたことがある。
みっちゃん。そして、みっちゃんの弟も、私になついてくれていた。
ある日、みっちゃんの弟が呟いた。
「おばあちゃんが、『死にたい』って言ってた。」
それまで、うっすら気づいていた、ご家族が抱えていた寂しさみたいなものと、
「本当に、あの子たちを、よろしくお願いします。」と、気弱な笑顔で繰り返すお父さんと、おばあちゃんが、
私をまるで一縷の光のように、貧しいながらもありったけの誠意で接してくれていた、かすかな望みみたいなもの
が、その一言に集約されているかのようで。胸がぎゅっとなった。
言葉にならなかった。
それでも必死に、励ました。
私は、自分の抱えていた問題で、彼らの重みを背負うことが出来ず
結局、家庭教師を辞めてしまった。
昨日、近くに、小さな男の子とお母さん。
食事を摂りながら、お母さんは、スマホを見ていた。
男の子は、特製プリンを無心に食べていた。
「これね~、すごいところがね、すっごく美味しかったんだよ~、
んん~、何ていえばいいんだろう~」と、全身をもじもじさせながら。3歳か4歳くらいだろうか。
「言葉にならないほどなんだね~。」と、お母さん。
昨日のこの出来事で、今朝、ご飯を作りながら、
みっちゃんのことを思い出した。
言葉にならなかった、その奥の、私の想いは届いたかな...
彼らをもう少し辛抱強くみてあげられなかった悔しさと
今頃、幸せであってほしい、という想いと
普段子育てで疲れ果てているかもしれない、スマホをずっと眺めているお母さんが
プリンの美味しさを表す言葉がうまくみつからなくて、もどかしがる小さな子に寄り添うあたたかさと...
誰かにこの話を聴いてほしかった。
止まらない涙と想いを、整理したかった。
多分、あの時ごめんねって、【今】みっちゃんに、ちゃんと言いたかった。
不思議。
昨日の母子の光景に出会わなければ、多分、思い出さなかったかもしれない遠い記憶。
必要だから、またこうして、私の胸の中で出会えたんだね。
いつかの痛みや苦しみは、必ず自分の血肉となり、原動力になってゆくんだと、教えてくれたのかもしれない。
悔やむことも、しあわせ祈る力に変えてゆくね。一つも無駄なことはないんだね。
本当に、本当に、すべてにありがとう。
すべてが、幸せでありますように。